事務員時代

事務員はいつまで続けられるのか?無事に定年退職を迎えることはできるのか??社会人になってからはずっと事務員として働く私の日常です

父が亡くなった当日の記録

んも~~~~っ!!!

 

仕事も師走だかなんだかでめっちゃ仕事量増えちゃったので、ポリシー曲げて残業三昧だし

父の事でしなきゃいけないこと、決めなきゃいけないことも目白押しです!

 

 

・・・こんなに大変なの・・・?

 

 

でも目の前のやらないといけないことをひとづずつ母と2人で潰していくしかないのよね!!!

やるしかないのだ!!!

 

父のことを少しずつでも書き残しておきたいし。

中年とは恐るべし・・・すぐに記憶が薄れてしまうよ・・・。

_______________

 

当日は、出勤してすぐ(出勤して40分経ったくらい)に父の入院している病院から電話があり

 

「呼吸も脈拍も・・・もう・・・すぐにこられますか?」

と言われました。

 

急いで母と妹に連絡して、職場の皆には

 

「父が危ないそうなので帰ります!」

 

と言って(半ば叫んで)早退しました。

 

いや~~、帰りの電車のなかは本当に落ち着きませんでした・・・

 

『私、運転大丈夫かな?事故ったりしないかな?』

 

と不安になりました。

 

パニクって親友達にもラインしたので、次々と

『とにかく運転気をつけて!』とラインを沢山もらいました!

 

一度帰宅して母を拾って、一緒に病院に行くけど間に合うだろうか・・・。

 

思えばこのときも同じような思いをしていたなあ・・・。

orchidtaffy.hatenablog.com

 

とにかくいつもより更に安全運転を心がけて無事に病院に辿り着くと、

看護師さんに案内されて病室へ。

父はもう荒い呼吸をしているだけでした。

 

しばらくすると妹家族も到着して、最初は子供たち(父にとってはとってもかわいい孫たちです)も会えるということだったけど

9歳の甥っ子もちょっと病室に居ただけで

「申し訳ないけどやっぱり部屋から出てもらえますか?」

と看護師さんに言われてしまって、3歳の甥っ子は最初から完全NGでした・・・。(ToT)

悲しいよね。最期なのに会えないなんてさ。

 

甥っ子達がダメなので(居ても意味ないよね・・・会えないんだからさ)、

妹家族と母がすこし昼食をとるために外出し、私1人病室に残ることにしました。

 

 

『最後まで耳は聞こえている』ってよく聞くので

 

 

「おとうさん、おとうさん」

 

 

と父に向かって言ってみたけど、父に届いたという感じは全く無くて、ただ、むなしく病室に響き渡っただけのような気がしました。

言った後で無性になんだか悲しくなったり虚しくなっちゃって、話しかけるのをやめちゃいました・・・。

 

orchidtaffy.hatenablog.com

 

上記のこの日に会いに行ったときも、父は誰だか分かっていない感じだったので

もしかしたら

 

「知らない中年女性が隣で『お父さん、お父さん』と自分のことを呼んでいて気持ち悪い」

 

なんて思われてたら・・・とか思い始めると、なんだか話しかけられなかった・・・。

 

認知症って・・・ね。

 

で、特になにもすることもなくしばらくいたら、看護師さん達が2人で来てくれて

酸素マスクを装着してくれました(それまでは鼻に直接入れているタイプのを装着していました)。

 

看護師さん達は優しく、でも大きな声で

 

「●●さ~~~ん!!!(父の下の名前)聞こえる~~???

 はい!吸って~~~!!!吐いて~~~!

 そう!!!上手~~~!!!

 話せなくても聞こえてるよね~~エライエライ!!!

 吸って~~吐いて~~~!!!」

 

って声を掛けはじめてくれたら、本当に父が苦しそうだけど

吸って~、吐いて~ってしてるんです!!!

 

で、酸素濃度はあっという間に99とか100になりました!

 

すごい!本当に耳は聞こえてるんだ!!!

 

でもね、これまた、この気持ちをなんて言ったらいいのかな・・・。

今、現在、父との信頼関係を築けているのはこの看護師さんたちであって

私って一体誰だろう・・・って思われてるのかな?

 

って思っちゃったりしたんですよね、私、ひねくれてんのかな?

 

そんなことばっかり考えながら、父とふたりでいたら

次はオムツ交換に来て下さって、私はしばらく部屋から出ることになりました。

こんなときでもオムツ交換に来てくれるんだ・・・ってありがたく思いました。

 

私は、両親のオムツ交換・・・ムリかなぁ・・・。

 

で「終わりましたよ~」って声かけてもらって病室に入ったら

看護師さんがやってきて

「安定しているみたいなので・・・どうします?帰られますか?」って聞かれました。

 

安定・・・そうか、こんな状態だけど安定してるのか・・・。

って思いましたが、家族に電話で相談して「じゃあ一度帰ろうか」ということになりました。

 

帰ったら2時過ぎてたかな?

私だけ遅めの昼食をとりました。

 

すると3時過ぎにすぐ病院から電話があって

「すぐ来られますか?」と言われたので、甥っ子達と愛犬は妹のダンナさんにお願いして今度は母と妹と私の3人で向かいました。

 

病院に着くと看護師さんに案内されながら

「脈拍20で心停止もしたけど、また今安定したんです」

 

って言われて。

 

ええええええ????

心停止したのに、何もしなくて動き出すってあるの?

(心臓マッサージとかはしなくてもいいと伝えてあるので)

 

 

で、そう言われたって医師の親友にラインしたら

 

「ええええ?そんなことって多いのかな?

 ちょっとお医者さんか看護師さんに聞いてみて~」

 

って返事が来たので、看護師さんに聞いてみると

 

「いやぁ~・・・、全然・・・。めったにないですねえ・・・」

 

って言われました。後で来られたお医者さんもそう言っていました。

 

逆に「いや・・・何度も呼んでしまって・・・すいません・・・」って言われたので

「いやいや、なんだかこちらこそ・・・スイマセン(笑」ってお互いちょっと苦笑・・・。

 

さっきの看護師さんとの『吸って~吐いて~』のやりとりを母と妹にも話していたので

「やっぱり耳は聞こえてるんだね~」と言いながら話をしました。

 

今回は家に置いてあったポッキーを持って行ったので、母と妹と3人で食べながらぼそぼそと話をしました。

 

するとまた看護師さんがやってきて

「何度も何度もすいません。。。安定していますので帰られますか?」と(笑

 

多分、コロナとかインフルエンザとか猛威を振るっているし

病院側もずっと居られたら嫌な(困る)のではないかと思いました。

基本は平日に15分しか面会できないしね。

 

なので「じゃあ・・・」と、5時過ぎに3人揃ってまた帰ることにしました。

 

 

 

みんな疲れてぐったりしていたので、晩ご飯は買って帰ることにしました。

平日で妹宅は車で2時間くらいかかるところにあるので、夕食を一緒に食べたら妹家族は帰宅することにしました。

そして私はいつ呼ばれるか分からないから、さっと入浴だけ済ませることにしました。

 

もう今日は呼ばれないかしら・・・?明日は出勤とかどうしたらいいんんだろうか・・・?

なんて思っていた20:30に病院から電話あり

「危ないです」と言われました。

 

ちょっと「オオカミ少年」みたいな気分にもなっていたので、

「ホントかな~?」なんて母と言いつつ、でも母はもうクタクタに思えたので

 

「私ひとりで行ってくるわ!」

 

と言いました。

母は、既に私の移動距離が通勤も含めると100キロを軽く越えていたので、凄く心配してくれて「私も行くから」と言ってくれたのですが

まあ、また大丈夫かもしれんし、夜も遅いから私だけで行ってくると伝えました。

 

出がけに母が

「あっ!そう言えばお父さんが着るモノ・・・なんにもないよね?」

 

と言いだし、祖母の時は亡くなった時に着る服をまた取りに帰ったじゃない?といったので父の服をパジャマと洋服両方持って行くことにしました。

 

で、病院に着いたのはなんだかんだで21:29でした。

裏口?から警備員さんに病室に案内されると

すでに病室の外に父の荷物がキレイに台車の上に積まれているのが見えました。

 

「あっ、亡くなったんだ・・・ ほんとに」

 

ってそのときに思いました。

 

部屋に1人ではいると、既にきれいに整えてくれたみたいで、冷たくなった父がいました。

 

看護師さん(夜間で昼間の父の担当看護師さんとは違う方でした)と夜間の先生(父の担当医師とは違う先生)から

 

「20:35にお亡くなりになりました」と伝えられました。

 

電話があって5分で息を引き取ったそうです。

それは、どんなに車を飛ばしても間に合わなかったな・・・。

 

20:30に電話が鳴る前に、親友達と

「いや~、さすがに3回も4回もってなったら・・・って

 看護師さん達もやっぱりおもうからさ~、

 今度は更に用心して電話くれそうだよね~?」

 

ってラインしてたんです。

 

そかそか・・・

 

なんて言ったらいいのかな~

 

リハーサルしすぎて、本番失敗した

 

みたいな気分でした・・・笑

 

ごめんね~

 

って思ったけど、

「普通なら1回のところ、3回も駆けつけたんだから許してよね~」

 

って父には心の中で言い訳をしました(笑

 

葬儀屋さんに電話したら、なにせ田舎住まいなものでして・・・

到着までに1時間くらいかかると言われました。

 

看護師さんから

「お洋服はどうされますか?このまま(レンタルの病衣)でも大丈夫ですけど

 持ち出し料で3,000円いただくことになっていまして」

 

????

 

なんと!

母~~~!!!グッジョブや!!!

 

すかさず着るモノは持ってきたことを伝えると、「見せてください」と言われたので

車内に取りに行きました。

で、パジャマと洋服を見せて「じゃあ、お洋服をお着せしますね」

と言って下さり、私は着替え中は外で待っていました。

 

その間も、家族や親友達がラインをいっぱいくれたので、ありがたかったです。

 

で着替えが終わって父と病室で待っていたら、23時頃にお迎えの車が来てくれました。

お礼を言って病院を出ようとしたら、職員の皆さんが、先生も皆駆けつけてくれてお見送りしてくれました。

そう言えば、別の病院だったけど、祖父のときもそうだったなあ・・・。

 

で、父の荷物を看護師さんが一緒に運んでくれたのですが、

「荷物の中に●●さん(父の下の名前)がキレイに塗ってた塗り絵とか、計算ドリルとか入れてるから見てあげて下さいね~」

って言われて。

 

ええ?病院でもやってたんだ~~~。全然知りませんでした。

オムツとかパットとかもいっぱいあったので

「これって・・・なんか寄付とかはできないんでしょうか?」と尋ねると

「大変申し訳ないのですが、衛生商品なので駄目なんです・・・」と言われました。

おお・・・めっちゃあるのに・・・(ToT)

 

で、看護師さんにもお礼を伝えて、そのまま葬儀会場むかいました。

そこに父を安置してもらって、翌日9時から打合せをしましょうということになり、

「お父さん、また明日」と伝えて、帰宅しました。

 

帰宅時間・・・24時でした。

心配していた母もほっとして、愛犬も喜んで迎えてくれました。

取り合えず寝よう!!!

 

長い一日でした~、いや、あっという間だったのかな~?

とにかく翌日は9時から打合せなので頑張らきゃ!!!