母方の大叔父(Kさん)が亡くなりました。
94歳でした。
大叔父の家には子供の頃は毎週のように遊びに行き
大人になってからも春夏秋冬、なにかにつけて親戚一同集まっていました。
ですので、大叔父の奥さん(Cおばちゃん)は大変だったと思います。
20人以上がひしめきあい、入れ替わり立ち替わり食べたり飲んだりして過ごすから
ず~~っと土間の台所にいたように思います。
私は大叔父の奥さんが大好きだったので、よく土間の台所に居座っていました。
おうちにはネコが居て、親族が集まるときには消えちゃうんです。
(どのネコも大抵消えていました 笑)
でも、土間の台所にはちゃっかりごはんをもらっているネコがいて
ネコとCおばちゃんと過ごすのが楽しかったです。
Cおばちゃんは、孫がいなかったからか私のことをとても可愛がってくれました。
いつも「かわいいかわいい」と言ってくれていました。
たくさん可愛がってもらったんです。
私はCおばちゃんのつくるごはんが大好きで
ちらし寿司とかポテトサラダとか、あとは奈良漬けを漬けていて
いつもとっても美味しかったなあ・・・。
Cおばちゃんは、息子さんが亡くなった1年後に亡くなりました。
もう9年くらい前かな。
で、Kさんはひとりになったけど、元々脳天気な性格だから
そこからKさんの弟のAちゃんにビックリするくらい面倒を見てもらいながら暮らしていました。
Aちゃんはもう、面倒見が良すぎて周りが心配になるくらい、いろんな人の面倒を見てくれます。
母ががんだということを知ると、真っ先に娘夫婦と一緒に会いに来てくれたり
先週もひとりでたくさんのお土産を持って母に会いに来てくれました。
そのときに「アニキはもう長くないかも」とは母に言っていたそうです。
お正月に来たときは「多分あれは100まで生きる」と言っていたのにと思いましたが
心臓で病院に運ばれたらしく、でもそこでは処置できないから更に大きな(かつ遠い)病院に移すと言われて、もうAちゃんは「それはいいです」と断りました。
すると病院には居られないらしく退院になって、そこからは施設に戻って最期まで見てもらいました。
もう自力では歩くこともできず、介助なしには食事排泄もできない94歳の高齢者に
延命処置で管だらけして更に苦しい思いさせるのはちょっと・・・と私も思ったので、Aちゃんの判断に親戚一同みな賛成でした。
金曜日にお通夜、土曜日に葬儀でした。
Aちゃんから大叔父が亡くなったと報告を受けて、母は泣いていました。
「Kさん亡くなって悲しいんだね」と聞くと、母は今までのAちゃんの苦労を思って泣いていました。
コロナ禍でお葬式に参列するのは、母も私もはじめてでした。
でも、最後にお別れができて本当に良かったと思っています。
大好きだった北島三郎の「与作」でお花とかをお館に入れながらお別れしつつ、出棺は「北の漁場」で見送りました。
母も久しぶりに大好きな親戚たちとあえて嬉しそうでした。
あーあ、ほんとにコロナ全然終わらないんですもんね。
こんな感じでずっと停滞なら、今のままみんなそれぞれ活動していかないとほんとに経済とかまわらなくなりますね。
あと、皆の心がね。もうダメになりますよね、何年もこんな状態だと…。
そして、今日で我が県はマンボウも終わりです。
コロナは人生でみんな必ず一回はかかるような病気になるんでしょうか?
それこそインフルエンザみたいな?
私はもう花粉症で鼻水がすごいし、喉もイガイガするし微熱もでたりするので、もうほんとに良くわからないです。
でも、なんとかやっていくしかないです。
今朝は上手にホットケーキがフライパンで焼けました!
やっぱり濡れたフキンでフライパンをジュッとするのはいいんですねぇ!
小さなことですが、ルンルン気分です。
母が作った煮リンゴを沿えて!
明日から仕事、一週間なんとかこなすぞー!