事務員時代

事務員はいつまで続けられるのか?無事に定年退職を迎えることはできるのか??社会人になってからはずっと事務員として働く私の日常です

おしんチャレンジー母・ふじの一生ー

絶賛おしんチャレンジ中ですが、おしんの母、ふじについて書き留めます。

 

泉ピン子って本当にすごいんだ・・・って思いました。

このおふじの一生の演じたのは30代だったのでしょうか?

(→調べたら、当時の泉ピン子は36才くらいでした!すごい!)

見事すぎます、すっごいです。

 

田中裕子とちょっとしか年が離れていないのに(調べたら田中裕子:1955年生まれ、泉ピン子:1947年生まれで、2人の年の差はたったの8才ですね!!たったの8才差での)この圧倒的な母親感・・・。

 

ほんとにおしんをキャスティングした人はすごいですね。

 

それにしても、おふじは幸せなときってあったのかしら・・・って思うんです。

おしんの子供の頃は、赤ちゃんを堕ろすために冬の冷たい急流に入り、でも赤ちゃんは無事に生まれて来ます。とても可愛かったためすぐ養子に出されましたが、手放すのはとても辛かったと思うのです。

そして、とても貧しいので幼い子らを次々と奉公に出さなければならない苦しさ・・・。

 

おふじも冬場は温泉宿?炭鉱?みたいな所に出稼ぎにいっていました。

その姿は、娘のおしんには絶対に見せたくなかったことでしょう。

でもおしんはおふじに無邪気に「かあちゃん、キレイだな~~~!!」ってキラキラした瞳で言うんです。後ろめたい気持ち、罪悪感もあったと思います。

 

おしんとお加代様が同じキモノを着て、初詣に行く姿をみたときは感無量だったと思います。

あと、雄が生まれたときもイキイキしていたんじゃないかな。

 

自分の姑のばんちゃんとは、あれほど仲良く結束して生きていたのに、嫁のおとらとはすっごく仲が悪くて(でもアレは、圧倒時におとらが性悪だから、おふじもああなったんだと思う。おとらの性根は最悪ですからね)あの家で暮らすのは辛かったと思うのに、晩年は白血病になってしまい、人生の最期はあの家で終えたいと言ったおふじ。

いい思い出なんかひとつもなさそうなのに、最期はあの家がいいのか・・・。 

 

その願いを叶えて伊勢から山形まで連れて帰ってあげたおしんも、そのおしんを支えた夫・竜三さんやひさ(赤木春恵)さんもすごい。

 

あんなに意地の悪かった兄、庄司が母を抱えて運んだ後に「あんなに軽くなって・・・」と、本当に最期の最期になってから母を心配する姿は印象的だったな・・・。

「そんなの!もう遅いんだよっっ!あんたがあんなへんな嫁をもらうからっっ!!!」って怒鳴ってやりたかったけど・・・。

 

 

おしんの大切な人が亡くなっていくのは本当に辛いです。

 

関東大震災で、息子の雄を守って、自分は死んでしまった源じい。

一緒に育ったおかよ様。

そして、母ふじ。

 

容赦ない人生を歩んでいくおしんを応援するばかりです。