事務員時代

事務員はいつまで続けられるのか?無事に定年退職を迎えることはできるのか??社会人になってからはずっと事務員として働く私の日常です

透明なゆりかご 第6回 いつか望んだとき

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すべての回が印象的で、大好きになってしまったのですが、

とくにこの回は衝撃的・・・というか、こころにズシンときました。

 

モトーラ世理奈さん、はじめて知りました!!

なんと印象的なんでしょうか・・・!!!

 

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そして、誰かに似ている・・・と思った瞬間ひらめきました!!

 

デヴォン青木だっ!!!!

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に・・・似てる!!再来???

 

そして、どこかで見たことあるような・・・?と思っていたら

雑誌「装苑」のモデルさんなんですね~~、

最近は見てないけど、ちょっと前までは見ていたから、

それでどこかで見たことがあると思ったのかしら・・・?

 

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今回は、望まぬ妊娠をした三浦ハルミ(モトーラさん)が、

アオイと一緒に(というかアオイがむりやり連れて行かれて)

中絶しに行った古民家。

 

そこに老夫婦が!

 

あっ!

 

角替和枝さんだ~~~!!!

 

 

ちょっともう、それでなんか涙が出てきました。

お元気なときに撮影されていたのでしょうか?

 

 

イッセー尾形さんとご夫婦なんですが、この夫婦が

なんという温かさの夫婦なのっっっ!!!!!!

こんなご夫婦が近所に住んでいたら、毎日遊びに行きたいわっ!!!!

 

 

ハルミはとても哀しいことをしにきたけど、そこはとても温かい老夫婦がいる場所で、

もし、本当にこういう所があれば、絶望的な気持ちで手術をしにきている人達がどれだけ救われるのか...と思いました。

 

手術後、ハルミが眠るシーンも、

とても哀しいことの後だけど、なんだかとても安らかで、いいなあと思いました。

 

仏壇に飾られた ひときわ美しい薔薇とせつなそうなハンカチが

とても心にのこりました。 

 

老夫婦役の2人が語る内容も、

ああ、きっとこういう人達がいれば、もっともっと救われる人がたくさんいるんだろうなあと思わせるものでした。

哀しい思いをした人達が、少しでも今は救われて、健やかに暮らせているようにと

そう思わずにはいられない回でした。

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いきなりですけど、私が高校の時のお話しです。

 

私は、母が通っていたということもあり、ちょっと遠かったけど

母と同じカトリック系の女子校に進学しました。

 

高校2年生のとき、仲良しグループではないけどAちゃんという子がいました。

その彼女、Aちゃんはちょっとイケイケな感じで、

茶髪にミニスカート、ルーズソックスで、90年代を見事に体現しているような子でした。

一方私と言えば、だぼっとしたロングスカートにぴたっとした靴下、髪の毛も一切染めていない、極めてさえない感じの子でしたので、なんの接点も無いようでしたが・・・。

 

唯一、朝の登校時、教室に着く時間が2人共とても早くて、

いつも1番か2番でした。

 

もうあまり覚えていませんが、高校生の当時の自分では読むことも

手にとって見ることもなかったような雑誌、「SPUR」なんかを

Aちゃんは持ってきていて、私にも見せてくれました。

華やかなブランドを知ったのは、それが初めてだったと思います。

(ちなみに私の愛読書は「mcシスター」でした(笑))

 

それぞれの仲がイイ子達が登校すれば、自然と「じゃあね」と(言っていたかどうか覚えていないのですが・・・)そちらのグループに行ってしまって、

2人きりで話をするということもありませんでしたが、

私はAちゃんと2人で話したり、雑誌を読ませてもらったりする時間が好きでした。

そう言えば、マニキュアをとてもキレイに塗ってたりしたなあ・・・。

 

年上の(当時で10歳くらい離れていたのかなぁ?)彼氏の話もしてくれたし、

2人で旅行に行ったという写真も見せてくれたりして、

当時、心身共にとてもとても幼かった私は、浴衣姿の2人の写真を見て

とても衝撃を受けたのを覚えています。

 

そんなAちゃんと、また朝(たぶん)2人きりだったときに

 

「私、こどもおろしてきたんよ・・・」

 

と言われました。

 

 

たぶん、そう言われました。

というのも、内容があまりにも衝撃的で、頭は(たぶん)真っ白すぎて、

真っ白だったのがいきなりグルグル~~ってし始めて、混乱しまくって、そして、

なんと言っていいかも全く分からなかったし、

たぶん、ちょっとしたパニック状態だったんだと思います。

 

今でも、

 

『ひょっとして、アレって夢だったのかな?』

 

とも思うこともあります。

 

そんな私がひねりだした返事は、多分記憶しているかぎりでは・・・

 

 「えっ???ウソだよねっっ?」

 

とか、そういう内容だったと思います。

すると、Aちゃんは

 

 

「・・・うそうそ!!!うそだよ~~~ん!!!!」

 

 

 

っていったような気がします。

 

 

「びっくりした?」

 

「びっくりしたした!!

 びっくりしたよ~~~~~!!!」

 

なんて、笑ってちょっとだけやりとりをして、まだ誰かが教室に入ってきたので

そのときはじゃあねと離れたような気がします。

 

きっと5分もかかっていない、人生で考えたら一瞬の出来事です。

 

もちろん親にも、仲良しの友達にも、誰にもこのことは言いませんでした。

 だってAちゃんはうそだと言っていたし・・・。

その後、ほかの誰かから、Aちゃんのそういう噂も聞いたことが無かったし

もう、何十年も前の話なので、ホントに聞き間違いだったり、思い違い、

記憶違いだったのかもしれないです。

 

もうよくわからないけど、ただ衝撃的でした。

今まで生きてきて、本人から直接告白をされたのは、このときだけです。

 

 

その後もすごくすごく気にかかっていたのですが、うそだって言っていたし、

あれ以来、私も「ねえ、あの話って・・・」と蒸し返すことも一切しなかったし

Aちゃんからもその話は無かったと思います。

 

でも、胸の奥にずっとつかえていた気持ちがあります。

 

なんであのとき、なんでもっとうまく言えなかったんだろう・・・。

いい言葉が思い浮かばなかったんだろう・・・って。

 

 

Aちゃんは、私に何か言って欲しい、アドバイスしてほしいとか、

そういう気持ちは一切なかったんだと思います。

 

「王様の耳はロバの耳~~」

 

みたいなかんじで、自分の中でうまく処理しきれない気持ちを

だだ、だまって聞いて欲しかったんじゃないかと思ったりするのです。

でも、

 

『うそでしょ?』

 

なんていわれたらもう、何も言えないよね?

 

もしあの日に戻れるなら、ただ「うんうん」と話を聞いてあげたい。

「体調は大丈夫?」と体の心配をしてあげたい。

今、同じ状況に遭遇しても、なにかを上手に言ってあげることはできないけど、

「うそでしょ?」なんて、話を遮らないで、話をだまって聞いてあげたい。

 

と、そう思いました。

 

妊娠がいつも幸せなモノではない、

わかっているつもりでも、理解していなかったな・・・。

 

あれが本当だったとして、

でも「この子がいつか望んだときのために」、と考えてくれるお医者さんに

Aちゃんは巡り会えていたんだろうか・・・。

 

Aちゃんは、今はどうしているのかな?

なんだか色々、胸がギューっとなってしまった回でした。

 

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高校1年の時だったでしょうか?

はっきりとは忘れたけど、

カトリック系だったからでしょうか?これも今となっては分かりませんが

堕胎は絶対いけないということで

堕胎のビデオを見せられたことがあります。

 

ナレーションで、

「あかちゃんはおなかの中で逃げ回ります。」

とか「中で切って掻き出します」とか、ほんとに怖かったし

気分が悪くなる子も沢山居たと記憶しています。

 

堕胎した子供を掻き出すために、下に置かれた

フツーの市販のどこにでもある青いポリバケツが印象的でした。

 

本当に怖かったとしか言いようがありません。

しかもビデオを見せられて、話し合うとかも無くそのまま授業は終わりました。

ただ、堕胎は悪いことだと植え付けて、恐怖心だけ抱かせて・・・。

 

あの教育は、あの教育だけは、やっぱり間違っていたんじゃないかと

今はそう思います。

 

「透明なゆりかご」を思春期の私に見せてあげたかったな・・・。